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distance(前編)


 義理のおば、義理のめい。
 水無月まひると黒崎朝美の関係は法律上はそうなっていた。実際の年の差は1つ離れているだけだったが。
「タチバナ、今日も朝美のところ、行く」
「……お嬢様、今日はレッスンがございます」
 いつものようにまひるの通う学校へ迎えにあがる。まひるが乗り込み、タチバナも後部座席に座ると運転手は車を走らせた。まひるの予定管理もタチバナの仕事だ。
 タチバナはぴくりとも動かない顔の中で口だけを動かしてまひるに言い聞かせようとする。しかしまひるは小さく首を横に振った。
「……朝美に会う。昨日も会ってない」
「お嬢様、朝美さんにご迷惑です」
「そんなこと、ない」
 まひるの声が少しだけ自信なく響くのを、タチバナは聞き逃さなかった。
「お嬢様が遊びにいかれると、朝美さんは内職ができません」
 まひるは痛いところをつかれて沈黙した。
 一度だけ、内職に追われていた朝美たちの手伝いをしようとしたことがある。手先があまり器用ではないまひるは、沙夜子ほどではないにせよ朝美の足をひっぱった。朝美はときどき手を止めまひるの作業を見てくれる。仕方ないなと微笑みながら内心どう思っているか、まひるはあまり想像したくなかった。
 タチバナは運転手にまっすぐ帰るように指示した。
「1週間に2、3日程度にしましょう。朝美さんには朝美さんの事情があります」
 まひるはうなずかなかった。
 タチバナはそれを見てため息を1つ。
 こういう役回りはストレスがたまる。明日は久々の休暇だ。かわいいぬいぐるみを買いにいこう、そう決めた。


「まひるちゃん、今日も来なかったね……」
 朝美は鳴滝荘に戻り、内職に励んでいた。今日は宿題が出ていない。こういう日は一気に内職を片付けてしまうに限る。
 対する沙夜子は、小さくうなずくだけだった。手元にある造花が花を咲かす様子は一向にない。
「お母さん、聞いてる?」
 沙夜子はまた小さくうなずいた。しかし、朝美はじーっとその様子を観察する。沙夜子はまたうなずいた。こくり、こくりと……。
 朝美は造花を一度床に置くと、沙夜子の元に歩み寄った。
「お母さん、寝てるでしょ?」
 肩を叩く。沙夜子はゆっくり顔をあげ、あたりを見回した。
「朝美、どうしたの?」
「お母さん、どうしたの、じゃないよ〜」
 朝美は大きく溜め息をついた。この造花の期限はまだ先だが、少しでも多くやっておかなければ生活がますます苦しくなってしまう。それに、今日のように平穏な日は鳴滝荘において珍しい。誰かが何かしら事件を起こし、そして内職は後回しになり、結局皆に手伝ってもらうはめになるのだ。これは自分たちのこと、手伝ってもらうのは申し訳ない。隆士には何度手伝ってもらったことだろう。そうそう手伝ってもらうわけにはいかないのだ。
「今日はあと5箱、終わらせるからね」
 まだまどろみから抜けきっていないのか、沙夜子は心底やる気のなさそうな表情で造花に向き合っていた。それでもすこしずつ、その手は動き始めた。その様子を見て朝美は自分の作業に没頭する。
 沙夜子の実家は意外と近くにあって、車で30分くらいの場所だった。突然誘拐まがいに連れていかれ、朝美は沙夜子の妹であるまひる、そして両親である丑三と夕に出会った。つまりは、たとえ義理ではあっても朝美の祖父、祖母にあたる人物だった。
 沙夜子は両親に朝美が大事だと告げた。この生活を続けることを選んだ。
 それは嬉しい、嬉しいけれど。
 一緒に暮らすという選択肢はもうないのだろうか。
 再婚を持ちかけられたのは知っている。沙夜子がそれを断ったことも知っている。確かに丑三はまだどこかで沙夜子の気持ちを受け入れられずに苦しんでいるだろう。
 それでも、家族は家族だから。
 たとえすれ違ってしまっても、家族は家族だから。
 丑三は沙夜子の幸せを願っている。ただ彼の願う幸せと、沙夜子の願う幸せが違っていただけで、思いは同じはずなのだ。
 きっと夕も、そしてまひるも、一緒に暮らせたらと思っているはずだ。
 朝美が沙夜子と離れて暮らすなんて考えられないのと同じように、丑三だって夕だって、そしてまひるだって、沙夜子と離れて暮らすなんて考えられないはずだ。まして沙夜子は駆け落ちして家を離れている。それがやっと見つかった。
 だから、一緒に暮らせるなら暮らした方がいいのではないだろうか。
 沙夜子は再婚はしないと言っていた。折れはしない気持ち。
 丑三が再婚を求めないなら、一緒に暮らせるんじゃないだろうか。
 生活が苦しいからとか、そんな理由じゃない。
 ただ純粋に、家族が離れて暮らしすなんて悲しいことだなと、そう思う。
「あの、お母さん……」
「……何かしら?」
「ううん、何でもないよ」
 慌てて首を振り、朝美は打ち消した。
 聞けるわけがない。聞けば話してくれるかもしれないけれど、聞いてはいけない気がした。
 ──仲直りできたら、お家に帰ろうよ。
 二人で暮らしたいと思うけれど、二人きりで暮らすことに固執はしない。それに、この鳴滝荘だって家族同然に仲良くしてくれる住人がいる。車で一時間もかからない場所に、家族はバラバラに住んでいる。この距離が縮まるなら、それが幸せなのではないだろうか。
 けれど尋ねたら、沙夜子は朝美が今の生活を苦しいと思っていると感じるかもしれない。
 苦しいとは思う。沙夜子のせいで苦しいなんて言わない、けれど実際に生活は苦しいのだ。沙夜子のおかげで、苦しい生活も楽しいと思うのは矛盾なのだろうか……。
 ──もうやめよう。
 考えても答えは出ない。朝美は目の前に横たわる内職の山に集中することにした。


 思えば姉は、どんな心境でこの家を飛び出したのだろう。
 そして今自分が抱えている感情は、姉の感情に似ているのだろうか。似てしまっていいのだろうか。
 ──姉様に会いたい、朝美に会いたい。
 思えばどうして家族なのにバラバラに暮らしているのだろう。遠く離れているのならいっそ諦めもつくかもしれない。けれど、車で一時間もかからない場所にいるのだ。その程度の距離、埋めようと思えば埋められるはずなのに……。
 この感情が姉に似てしまうなら、まひるはもうこの家にはいられない。寂しさは体中を暴れまわる。そして勝手に体を動かそうとする。家を飛び出して、姉と朝美のいるあの鳴滝荘に飛び込もうとする。
 姉の存在なんてずっと忘れていられればこの家で、この家族で、十分満足できたのに。
「朝美……」
 家族で、友達で、まるで妹ができたみたいで。まひるさんなんてよそよそしくて嫌だったから、まひるちゃんって呼ばせた。そうすれば、本当に友達になれる気がした。留学から帰ってきて、日本語が上手くできなくて、まだ友達がいなくて、家に帰っても一人でボールと遊ぶしかない。
 朝美は強くて、健気で、かっこよくて……はたから見ればすべて持っているような自分と比べて、はたから見れば何も持っていないような朝美の方が多くのものを持っていた。
 手伝おうとした内職はまったくうまくいかなかった。
 朝美が作った料理は美味しかった。まひるは包丁すら持ったこともないのに。
 朝美は心から笑い、そして心から泣ける。自分はどうして素直になれないのだろう。
「姉様……」
 今ある家族を投げ捨ててまで新しい家族を選んだ姉、沙夜子。
 姉はどんな心境で飛び出したのだろう。
 それとも、家族のことなんて考えもしなかった?
 新しい家族さえ幸せなら、それでよかった?
 分からない、そして理解することはもっとできない。
 愛する人には一生涯愛してほしい、姉はそう言っていた。けれど、そんなことは無理だとまひるは思う。人は寂しさには勝てない。寂しさは心に住み着いて、シロアリのように食い荒らしてボロボロにしていくのだ。心をボロボロにされないためには、やっぱり誰かが側にいてくれないとダメなのだ。死んだ人間は思い出になっても、側にはいてくれない。死んだ人間は古くなっていく殺虫剤に似て、だんだんと寂しさに対して効果がなくなっていくのだ。
 姉だって、朝美がいなければきっと自殺していたとまひるは思う。
 愛した人と一緒に愛した、愛すべき子供。その子供のために、生きていられた。
 側に誰かがいなければ、寂しい。寂しさはやがて何もかもを食い荒らしてしまう。
 まひるのそばに誰かがいないわけではない。父がいて、母がいて、たくさんのメイドたちや運転手がいて。
 けれど……まひるは寂しい。
 家族は今、欠けている。
 一緒にいたい。1週間に2、3日じゃ我慢できない。家族なのに、どうしてそんな制限を受けなければならないのだろう。
 一緒にいたい。
 こんな距離、どんな手を使ってでも消してやる。
 まひるはゆっくりと、まだ慣れない日本語で白い紙を埋め始めた。


「明日、私は休暇だ。お嬢様の送り迎えをちゃんとするように」
「ふぇ〜、了解しました〜」
 一通り仕事を終え、タチバナは後輩であるサクラに明日の仕事をすべて伝える。大変不安で仕方がないが、大きなミスをしないように祈ることしかできない。いちいちサクラのミスを気にしていてはこの仕事は務まらない。久々に家に帰れるのだ、仕事のことは忘れることにする。
 タチバナは普段は屋敷に住み込んでいるが、休暇があれば家に帰ることにしている。家にはぬいぐるみが多く置いてある、そして帰るたびにコレクションは増えていく。
 タチバナはサクラが手を振るのを背に、屋敷を後にした。
 玄関を通り抜けたところでふと振り返り、屋敷を見上げた。
 まひるの部屋の電気がまだついていた。もう10時だ。今日は宿題は出ていないはずだから、もうすぐ就寝する時間のはずだった。
 夜更かししないで早く寝てください。
 普段ならそう言いに行くところだが、もう仕事は終わっている。それにまひるが起きていたいなら、起きていてもいいだろう。仕事でなければ、無理に言いつける必要はなかった。
 タチバナは止めていた足を前へと進めた。休暇は1日しかない。今日はすぐに寝よう。
 タチバナの休日は平穏に終わる。
 そのタチバナのいない水無月家が蜂の巣をつついたような大騒ぎにみまわれたことをタチバナが知るのはその翌日のことだったけれど。


 タチバナが休みを取った日の朝、サクラはまひるを無事に送り届けた。
「ふぇぇ〜、先輩がいないと大変です〜」
 怒られる心配はないものの、これだけ広い屋敷をカバーするタチバナの能力は凄まじいものがあると実感する。水無月家の家族を起こしてまわり、服の準備などをして、送り迎えをし、出かけている間に部屋の掃除をして……などなど、こなすべき雑務は多い。
 ミスをしないようにけれど手早くなどという、サクラにしてみれば無理難題を突きつけられそれでも大きなミスをしなかったのは、今日はきっとついているからだろう。テレビの占いでは今日の運勢は2位だった。アクシデントには気を付けてと言っていたものの、アクシデントなどは無縁の忙しい時間が過ぎていく。
 庭の掃除にかかろうとして、少しずつ日が暮れようとしているのに気がついた。
 あっという間に夕方になっていたのだ。
「お嬢様を迎えに行かないと……」
 専属の運転手と一緒に、まひるのいる学校へと向かった。
 車が学校の前につく。すでに放課後になっていて、次々と生徒が校門をくぐり、家路についていた。まだその中にまひるの姿はない。
「ふぇ、何かあったんでしょうかぁ?」
 若干遅刻気味に学校についたから、きっとまひるは怒って待っているのだろうと思っていた。運転手と相談して、しばらく待つことにする。
 10分が経ち、20分が経ってもまひるは姿を現さなかった。
「ふぇぇ〜。た、高崎さん、どうしましょう〜」
「とりあえず学校に様子を見にいかれてはどうでしょう。私はここで待っていますから」
 運転手の高崎の提案に、サクラは慌ててうなずき、学校の中へ入っていた。教室に行ってもまひるはいない、職員室にいって担任に尋ねてみても、帰ったんじゃないのかと逆に驚かれた。すれ違いかと思い慌てて車に戻るが、車の中にまひるはいなかった。
 大概のアクシデントは突発的で、気を付けようもないのだとサクラは悟った。
「ふぇぇ〜、一体どうしたらぁ〜」
 サクラの情けない悲鳴が響き渡った。


 書き置きは自分の部屋の机の中。すぐに見つかることはないだろう。
 朝美は強い。
 姉の決断は強い。
 それに引き換え、自分には何の力もないことを知った。
 学校を裏口から出る。そして、鳴滝荘を目指す。電車やバスも考えた。けれど乗り方が分からない。お金も持っていない。頼めば必要なものは手に入った。お金を持って自分で買いにいく必要が、今までまひるにはなかった。
 徒歩で鳴滝荘を目指す。いつも車で行く道を、まひるは正確には覚えていなかった。
 早くも泣きそうになる。
 一人は寂しい、心細い。行き着く先に誰かが待っていてくれたとしても、そこまでたどり着けずに果ててしまうのではないかと思う。それとも誰かが待ってくれれば、どれだけ離れていてもたどり着けるのだろうか。まひるにはその誰かがどこで待っているのか分からないのに。
 このまま自分の家にすらたどり着けなかったらどうしようかと、周囲が暗闇に染まるような不安が押し寄せてくる。
 行けども行けども知らない景色。
 当たり前のように歩いていく名前も知らない人間たちが、すべて敵のように見えてしまう。そんな人の海の中で、まひるはふと見覚えのある人物を見つけた。
 一見して男だか女だか分からない風貌。名前は覚えていないが、朝美が「お兄ちゃん」と呼んでいる人物に間違いなかった。
 彼についていけば鳴滝荘につける。
 まひるは、けれど素直に連れていってほしいと言うこともできずに、静かに彼の尾行を始めた。(続く)




 なかがき

 というわけで、なんだか思ったよりも長くなりそうだったので前編という形にしました。次が中編か後編かどうかはわかりませんが。というか続きがいつ書けるかどうかも分からないので気長に待ってやってください。
 というかまひるはもっと堂々としている気がしないでもないですが、弱気になるときもあるだろうと思って書いています。実際どうだかわかりませんが。
 SSのタイトルはよく好きな歌手のタイトルからつけるのですが、今回はDEENの「Long Distance」からとりました。そのまま全部つけようかと思ったのですが、そこまで遠くはないだろうと思って「distance」だけになってしまいました。distanceだけでも遠い距離って意味はあるらしいですが。
 まあそんなこんなで、続きにご期待いただければこれ幸い。

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