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distance(後編) | |||||
「お兄ちゃん」は「梢ポン」と出会い、そして鳴滝荘に到着した。 もしかしたら水無月家の誰かがすでに鳴滝荘に先回りして待ち伏せているとも考えたが、それはないようだった。今日はタチバナがいない。あのサクラというメイドでは鳴滝荘に来ているとまで気を回すことはできないだろう。だからこそ、今日を選んで決行したのだから。 まひるは父か姉か、どちらかが折れるまで戦うつもりでここまでやってきた。 自分には力がない。それは分かっている。けれど、力はなくても覚悟はできる。行動を起こすことはできる。結果が伴わないかもしれないとも思えど、動かずにはいられなかった。 まひるは鳴滝荘の前で立ち尽くしていた。 「姉様……」 見上げるのは、姉の暮らす場所。 話は聞いた。ここは姉が愛した人との思い出の場所ではないということを。姉がこの場所にこだわる必要も理由もない。だから、帰ってきてくれればいいと、そう思う。 「あ、まひるちゃんだ」 懐かしい、そして何より求めていた声が響いた。振り向けばそこには制服に身を包み、鞄を持った学校帰りの朝美がいた。 「朝美……」 こらえようと思う暇もなく、自分のほほを涙がつたってしまうのを自覚していた。 「わ、まひるちゃん、どうしたの!」 朝美が慌ててハンカチを差し出してくる。まひるはそれを素直に受け取って涙を拭った。 「なんでも、ない」 少し言葉に詰まりながらも、なんとか返事を返す。けれどそれは逆効果だったらしい。朝美はハンカチを持っていないまひるの左手をつかんだ。 「なんでもなくないよ。こんなところにいても仕方ないからお部屋に行こう」 逆らおうと思えば逆らえた。けれどあえて逆らわずに朝美に手を引っ張られるまま鳴滝荘の廊下を進んでいく。幸い途中で誰にも会わずに朝美たちの住む5号室に入ることができた。 5号室は相変わらずダンボールだらけの部屋だった。まひるの個室よりも狭い部屋に、黒崎親子は2人で生活している。 「……お母さん、また寝てる」 溜め息と共に朝美はまひると繋いでいた手を離して、横になって寝息を立てている女性に近づいていった。黒く長い髪を床に投げ出して眠っている人物の名は黒崎沙夜子、まひるの姉に当たる人物だった。 「まひるちゃん、ちょっと待っててね」 沙夜子の元にしゃがみこみ、朝美は振り返った。まひるは収まってきた涙をハンカチで拭きながら頷いた。 「お母さんったら、起きて」 何回か揺さぶられ、沙夜子は瞳をゆっくりと開いた。 「あら朝美、おかえり……」 寝ぼけまなこで沙夜子は体を起こした。そしてその気だるげな視線がまひるとぶつかった。 「まひる、久し振りね……」 「姉様、会いたかった」 涙はこらえた。 「あれ、今日タチバナさんは?」 鞄を部屋の隅に置いた朝美が問い掛けてきた。 「タチバナは今日、休み」 「ふーん、そうなんだ」 朝美はそれ以上タチバナのことについて追求してこなかった。ほっとする。どうやって一人で来たの、などと質問が進んでいくのは避けたかった。 「それで、今日は何をして遊ぶの?」 「内職はいいのか?」 朝美は気を使いすぎる。本当は内職がたまっていても、まひるが来たら相手をしてくれる。それが少し辛かった。 「大丈夫だよ、昨日は暇だったから大体終わってるんだ」 おそらくは本当のことだろう。表情を見る限り気を使っている様子はない。だから少しほっとする。これからまひるがしようとすることは、もしかしたらものすごく時間のかかることかもしれないから。 「朝美、姉様、話ある」 これから話すことへの不安が、まひるの心の中を暴れまわるようだった。 姉はやはり、拒絶するのだろうか。 まひるは話があると言って座った。 朝美はまひるのいまだかつてない真剣な表情に戸惑っていた。あまり表情を見せないまひるが、ここまで思いつめているのはよほどの理由があるのだろう。朝美はそう感じた。 「姉様、家帰る」 まひるの第一声は、朝美にとっては衝撃的だった。昨日の晩、自分の考えていたことと同じだったから。 隣に座る沙夜子を見る。沙夜子は表情を変えずにまひるの言葉を待っているようだった。 「父様、説得する。姉様が再婚しなくても、それでいいって」 「まひるちゃん……」 朝美は自分が聞けなかったことをまひるが聞いてしまったことに驚きを隠せなかった。それと同時に、ひどく興奮している自分がいることを知る。聞きたいけれど聞いてはいけないかもしれないと思っていたこと、その答えが、聞けるかもしれないから。 ふたりの視線を浴びながら、沙夜子はゆっくりと首を振った。 「この前言ったでしょう、私は朝美と暮らすって」 「違う、家族がバラバラ、おかしい」 まひるは普段では考えられない激しい口調で沙夜子の言葉を否定した。 「……そうね、確かにおかしいわね」 まひるの表情がかすかに明るくなり、沙夜子の言葉に期待をしているのがわかった。けれど少しだけ嘆息し、沙夜子はまた首を振った。 「でも、私は黒崎沙夜子なの。水無月の家の者ではないわ……」 「姉様、どうして……」 それでも待っていたのは拒絶だった。まひるの表情が暗く沈んでいく。 「お母さん、あのね……」 朝美は耐えかねて声をかける。 「私はお母さんと一緒に暮らしたいけど、お母さんがいいのならまひるちゃん達と一緒に暮らしても構わないよ。おじいさんだっておばあさんだって、本当はお母さんと一緒にいたいって思ってると思うから」 けれど、沙夜子がここで暮らしたいというのなら、あの家には帰らないというのなら仕方ないとも思う。これは沙夜子の気持ちの問題だから。まひるにはそう思えないのかもしれないけれど。 それに、黒崎朝美という存在はまだ水無月丑三には受け入れてもらえないだろう。たとえ血が繋がっていなくても、駆け落ち相手の黒崎の娘なのだから。黒崎は、娘を奪った男なのだから。 朝美は沙夜子の顔をちらりとのぞき見た。 変わらない無表情。しかし、朝美はかすかにいつもの沙夜子とは違うことに気付く。沙夜子は無表情すぎた。自然な無表情、そんな表現が正しいのかどうか分からないけれど、いつもの沙夜子は表情に力が入っていないから無表情なのだ。けれど、今はかすかに強張っているような気がした。無表情を作っているような、そんなかすかな違和感。 「朝美、ここは嫌い?」 唐突な質問に、朝美の思考はついていけなかった。 「え、ここって?」 そしてようやく追いつく。 昨日の懸念がそのまま蘇る。 鳴滝荘にいることが嫌いか? それはつまり、この貧乏な生活が嫌いかと、そういうことだ。 以前隆士は言っていた。 『沙夜子さんは朝美ちゃんに頼りきって甘えている』 朝美が沙夜子に直接不満を漏らしたことはない。隆士に本当の親子ではないと告白したとき、間接的に朝美が思っていることを知ったくらいだろう。 朝美が水無月家に行ってもいいと言った。その意味を考えれば、今の生活が苦しいと思っていると捉えることを非難できない。水無月家に帰れば朝美は無理して内職をしなくてもいいし、友達とももっと遊べるだろう。制服やジャージ以外の服を着させられるし、何より道に生えてるような雑草を食べる生活を強いることはない。 鳴滝荘にいることは朝美にとって苦しみの方が多い。客観的に考えれば、その結論に行き着いてしまう。母親である沙夜子ですら、いや、母親であるからこそ、朝美の苦しみを除けるのなら帰ったほうがいいと思うだろう。 けれど、朝美は別に鳴滝荘にいることに不満はなかった。いつも赤字な生活だし、このまま行けば高校に入ることもなく働きに出なければならないかもしれない。それでも沙夜子がここに住むことを望むならそうしたいと思う。 父親を失った時、朝美はまだ3歳だった。身寄りはない。そして水無月家と絶縁状態だった沙夜子も同様に身よりはないも同然だった。だから、いつ捨てられてもおかしくはなかった。養護施設に入れられる可能性は低くなかっただろう。それでも沙夜子は必死に朝美を育ててくれた。そうして今の自分がいる。 そう、だから。 「私は、平気だよ」 沙夜子の問にそう答える。答えた結果が、まひるの求める答えに結びつかなくても……。 沙夜子は朝美の顔をじっと見た。目をそらせないまま、朝美も沙夜子の表情を見る。 沙夜子の黒い瞳の奥に、何があるんだろう。揺らぐことのない眼光が、やがてゆっくりと動いた。その先に、じっと答えを待つまひるがいる。 「……少し、考えさせて」 立ち上がり、沙夜子は部屋を出た。 残された朝美はまひるとともに、ただ沈黙を守る。 心の中にいろんな言葉が溢れて、口にすることができなかった。 『本当にいいのかい、沙夜子……』 声が聞こえるような気がした。 見上げれば、月は欠けていた。 決意を決意と認識したあの日の月と同じ形。 この家を出ると決めたあの日の風が吹いていた。 ゆらゆらと空気が寄り添う、心の暗闇を揺さぶるように。 『うん、もう決めたから』 今よりは快活に、自分は告げていたように思う。 そして翌日、家を飛び出した。 もう戻らないと心に誓って。 許されることではない。 許されようだなんて思ってはいけない。 許してほしくないとは思わないけれど。でも自分から捨てておいて、また帰ろうなんて、虫が良すぎる。 『私は、あなたと朝美と、きっと幸せになるから』 あなたと朝美とでなければ、幸せにはなれないと直感したから。 だから後悔なんてない。 隣にはあなたがいて、朝美がいる。それは今でも変わらないから……。 ねぇ……。 だけど。 今、朝美は幸せを感じているの? 「あ、沙夜ちゃん。お風呂空いたわよ」 あてもなく廊下を歩いていた沙夜子に声をかけたのは桃乃恵だった。手には洗面道具を持って、頭にタオルを巻いていた。今上がったばかりなのだろう。沙夜子が通りかかっていたのは洗面所の前だった。 沙夜子はこくりと頷く。それだけで済ますつもりだった。 しかし恵は沙夜子の顔をじっと見て沙夜子の歩みを止めた。 「沙夜ちゃん、何かあった?」 沙夜子は首を振ろうと思った。けれど心がブレーキをかけた。なぜか、嘘をつくのがためらわれた。 「また内職? 少しならかくまってあげるわよ?」 沈黙を勝手に解釈して、恵は自分の部屋を指す。洗面所から一番近いのは恵がいる3号室だ。 沙夜子はようやく頷いた。 どう気持ちが動いたのか自分でも分からなかった。 ただ導かれるままに、沙夜子は恵の部屋へと入っていった。 「軽く髪の毛乾かすから、テレビでも見て待っててちょうだいな」 沙夜子は言われるままにテレビに向かう。けれどべつにテレビが見たいわけでもなかったので適当な番組にしておいた。 しばらくすると恵が隣に座った。 「で、本当に何かあったの?」 「………」 沙夜子は答えるべきなのか分からなかった。告げるべきではないのかもしれない、告げたら答えが返ってくるのかもしれない。 しばらく逡巡したあと、沙夜子は口を開いた。 「あなたは、どうしてここにいるの?」 「えっと?」 質問の意味を理解できなかったのか、恵は戸惑いの表情を浮かべていた。 「ここって、鳴滝荘のこと?」 沙夜子は頷く。どうしてこんなことを聞いたのかわからない。しかし聞いてしまった後でなら、なんとなく理由が浮かんできた。恵に同じ空気を感じたから。 「別に、家賃が安そうなところで選んだだけだけど……」 恵は答えを返しながら、ゆっくりと溜め息をついた。 「えっと、もしかしてマジ話希望?」 恵にすら分かってしまうほど、自分の態度や表情は変わっているのだろうか。確かに、駆け落ちを決意した日のように思いが駆け巡っているのは確かだ。 それに……。 「別に、家から遠い場所に行きたかっただけよ。あたしは家出同然でここに来たからね」 恵と沙夜子の境遇は似ている。 遠くに恋人がいることは知っている。もう死んでしまった沙夜子とは違って恵の思い人は生きているが、今隣にいないという事実は同じだ。 直接聞いたわけではないが、家を出てここに来たような気がしていた。家を出た自分となんとなく似ている、そうどこかで感じていたのだろう。 「突然どうしたの、こんな話持ち出すなんて……」 「朝美は、ここにいたいのかしら、いたくないのかしら」 恵が知っているのは、沙夜子と朝美が一度タチバナとまひるに誘拐同然に実家に連れて行かされたことだけだ。 「ここにいたいとかって、どういう意味……。え、ここを出て行くの?」 沙夜子は首を振る。 「今、まひるが来ているの。それで、帰ってきてって」 「またあの殺し屋ブラザーズが来てるの、あたしが追い返してやるわよ」 沙夜子はまた首を振った。興奮して立ち上がろうとする恵を制す。 「朝美は、帰ってもいいって言うから」 「殺し屋の弟に気を使ってるだけでしょ、沙夜ちゃんが帰りたくないってなら朝美ちゃんも納得するんじゃないの?」 「…………」 沙夜子自身に帰る気はない。 けれど、朝美のことを考えたら帰ったほうがいいのかもしれないという部分はある。 まひるは父である丑三を説得しようと言っているが、そもそも説得に折れるのなら沙夜子は駆け落ちなんてしていない。 それに前に帰ったとき、丑三は朝美を里子に出そうとしていた。たとえ血の繋がっていなくても、黒崎の娘の存在など認められないのだろう。 ──帰っても、朝美は辛いだけ。 説得しようとして、また失敗して……。 「あたしが沙夜ちゃんの家庭の事情になんて深く立ち入るべきじゃないと思うけどね」 恵は前置いてから、真剣な眼差しを沙夜子に向ける。 「沙夜ちゃんが朝美ちゃんをここで幸せにする自信がないなら、帰ったらいいんじゃない。場所っていうか、環境だって幸せの一要素だわよ。どこまでのウェイトを占めるかは、人それぞれだろうけどね」 朝美はあの時なんて言っていた……。 沙夜子といることに、なんて答えた……。 寝てばっかりだし、内職さぼったりするけど……。 「まあ勝手言ってるついでだけど、あたしは沙夜ちゃん達にここにいてほしいわよ」 照れ隠しに微笑みながら、恵はそう言う。 沙夜子はつられて微笑んだ。そのまま、ゆっくりと立ち上がる。 「………ありがとう」 「どういたしまして」 ゆっくりと閉まる扉を見送り、恵は溜め息をついた。 「母親か……」 普段はとてもそうは見えないけれど、なんて思うのは失礼なんだろうか。 朝美もまひるも、思っていることは同じだった。 沙夜子が帰りたいなら、帰った方がいい。 帰るためには丑三を説得しなければならないだろうけれど。 ただ朝美とまひるで違うのは、帰ってほしいと、帰りたいと願う度合いだった。 まひるは皆と一緒にいたい。だから、朝美も沙夜子も一緒に帰ってきてほしい。 朝美は沙夜子といられればとりあえずそれでいい。だから、無理に沙夜子と帰ろうとは思わない。 「朝美は、私と暮らすのはイヤなのか?」 「そんなことないよ、けど、お母さんが帰りたくないなら私も行けないよ」 沙夜子が部屋を出て、お互いの気持ちを確認した。 まひるはもしかしたら終わりのない螺旋に迷い込んでしまったのではないかと思った。 沙夜子は、朝美が帰りたいと言うなら帰ると言うかもしれない。 朝美は、沙夜子が帰りたいと言うなら帰ると言うかもしれない。 じゃあ、先に帰りたいと言い出すのはどちらだろう。 お互いがお互いの気持ちをおもんばかって結局動けないのだとしたら。 結局どちらも帰りたいといい出せなくて、帰れないのだとしたら。 「朝美、姉様を説得する。私は一緒にいたい」 どれだけ声を張り上げても、その螺旋には届かないのだとしたら。 螺旋の内側でしか声は響かなくて、その内側に声を発することができるのが朝美と沙夜子だけなのだとしたら。 一緒にいたいのに……。 この声は、届かないのだろうか。 「でも、私は……」 困った顔を見せる朝美。 やっぱり、声は届かない。 この絆は決してほどけはしない。 解決すべき距離は家と家の距離ではなかった。 そんな物理的な距離なんて関係ない。姉はもう触れ合うことのない距離にいる人をずっと想い続けると誓ったのだから。 「どうして……」 時間なのだろうか。 それとも思いの強さ? けれど思いの強さで負ける気はない。ずっと離れ離れだった姉と、ようやくできた友達と……。 ずっといたい、いたいのに……。痛いほど、そう思う。 溢れる涙を堪える。 泣いてはいけない。泣いたら、負けだ。強くそう心に言い聞かせる。 そのとき、扉が開く音がした。 はっと顔をあげる。そこには沙夜子が立っていた。 「まひる……」 姉の声がする。確かな響き。そして決意めいた瞳の色。 その姉の表情で悟ってしまった。やっぱり、声は届かない。 「私達は、ここで暮らすわ……」 「どうして……」 それでも聞かずにはいられなかった。どうして声は届かないのだろう。この距離は少しも縮まらないのだろう。 「私は、まだここでしなくちゃいけないことがあるの……」 まひるはその言葉を黙して聞いた。神からのお告げを賜るかのように、心静かに。 「私はあの人と、朝美と、幸せになるって誓ったの。まだあの人に胸を張って幸せだって言えるほど、私は努力してないから」 「姉様、帰ったら幸せになれない?」 場所が関係あるんだろうか。 どこにいても朝美と姉がいれば幸せに違いないのに。この場所にいったい何があるというのだろう。 「私はあの家を飛び出した。ちゃんと幸せになるまで、帰れない。そうでなければ、飛び出した意味がなくなってしまうもの」 いつになったら幸せになれる。 いつになったら帰ってきてくれる。 まひるは途切れることなく溢れ出てくる疑問を口に出すことができなかった。胸の奥で渦巻く思いが苦しくて、言葉にはならなかった。言葉になる前にまたぐるぐると渦巻いてただ体の中を暴れまわるばかりだ。 「姉様、いつか帰ってきてくれるのか……」 それだけ言うのが精一杯だった。 今すぐに距離をなくすことはできそうになかった。それだけは理解できた。 「ええ、そうね……」 まひるはゆっくりと頷く沙夜子の胸へ飛び込んでいた。まひるの、負けだった。 水無月家では、まひるが帰ってこないことで大騒ぎになっていた。 サクラはいつもの3倍はふえぇぇぇと連呼するものの、それを咎めるべきタチバナはいない。ただ騒がしさだけが助長されていった。 「ああ、奥様、いったいどうしたらぁ〜」 「落ち着いてサクラさん……」 夜になってようやく活動を開始した夕がサクラをなだめる。頼りのタチバナは今日は休暇中だ、できれば頼りたくない。夕は悪いと思いながらも、手がかりを求めてまひるの部屋に入った。もし誘拐ならもう連絡が入ってきてもいいはずだ。しかしサクラと運転手は学校の前で授業が終わる前から待っていた。学校内で誘拐されるはずがない。 なら考えられる可能性は、まひるの意思で学校を裏口から出て行ったということ。けれどどこに行こうとしたというのだろう……。 夕はまひるの勉強机の引出しを開けた。そこに入っていたのは勉強道具。しかし、その中に見慣れない封筒があった。父様、母様と書いてある。 「これは……」 自分たちに宛てたものなら、読んでしまってもよいのだろうか……。 夕は逡巡して、封筒を開けることにした。中身を読み、手先が震え始めるのを実感した。慣れない大声でサクラを呼ぶ。 「サクラさん、沙夜子さんが住んでいる場所に連絡できますか?」 どうして今まで思い浮かばなかったのだろう。 まひるに行ける場所がそんなに多くあるはずがない。ましてやまひるがどうしても行きたがる場所なんて、沙夜子と朝美の元以外のどこがあるというのだろう。 「高崎さんに車の手配をお願いしてくださいね」 迎えに行かなければならない。きっと、まひるはそこにいる。血は争えない、夕は溜め息交じりにそう思った。 夕の手の中でくしゅっと、まひるの手紙が音を立てた。 『父様、母様 姉様は必ず連れて帰る そのときは、姉様と朝美と、一緒に暮らす 暮らせないなら、姉様たちと一緒に暮らす だから、皆で一緒に暮らす まひる』 鳴滝荘に電話が入りそれを受けた梢が5号室に入ると、泣きじゃくるまひるがいた。そしてそのまひるを抱きしめる沙夜子と、隣で微笑みかけている朝美。梢は事態を理解できないながらも、とにかく家族が心配しているとまひるに告げた。 まひるはようやく、決意は簡単にひるがえせないものだと知った。 この距離を消してしまうつもりだったのに……。姉の決断も、今なら分かる気がした。 「怒られる、かな……」 自分がいる場所は、まだここではない。 けれど迎えが来るまでは、このぬくもりの中で……。 (終わり) あとがき えー、実に7ヶ月ぶりに後編が書けまして。卒論にあたっての現実逃避です。いや、書かなきゃいけないと思えば思うほどやる気がなくなるこのジレンマ。いや、さすがに書かないといけないんですけど、ついこっちの続きも書かないととか思ってしまった次第なんです。 もたもたしているから1月号で丑三さんと朝美ちゃんが和解してしまいました。ちゃんと先に書いておけば良かったのに……。 次回作の構想は今のところありません。王様権を使ってもらっても構いませんけど、先着1名様の方向で。というか、きっとリクエストを受けても1年くらいはかかってしまう気がひしひしとします。というか来年の僕は何をしているんでしょうか、想像ができません。 |
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