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ELEVEN

 2月13日、翌日にはバレンタインデーが待っている、そんな恋人たちが心躍らせる日。
 桃乃恵はその日を、溜め息とともに迎え入れた。恋人は海外にいる。まだ帰ってはこない。チョコは溶けるだろうからチョコ味のクッキーをすでに郵送している。明日何事もなければ到着するはずだ。クッキーが粉々になってしまう可能性は残るが、そこは祈るしかない。
 恵は一人、路地を歩いていた。
 鳴滝荘では梢が朝美と一緒にチョコを作るのだろう。珠実はこっそり作って梢に渡すのだろうと思う、あるいは大きいものをどんと買ってくるのかもしれない。沙夜子はよく分からない。
 朝美に関してはクラスメイトに配ることはさすがにしないが、鳴滝荘に住んでいる男性2人には小さなチョコを贈るつもりらしい。
 梢も贈る相手は朝美と同じだ。ただその意味合いが違う相手が1人いるだけで。
「うらやましいかぎりだわね」
 世の中にはホワイトデーのお返しに期待してチョコを配りまくるという人種もいるらしいが。鳴滝荘の面々に関してはそんなことはないだろう。恵もそんな面倒なことはしない。小さなチョコを買って隆士と由起夫にあげるだけで済ます予定だ。学校は自主休学中だし、わざわざテスト中の学校に行ってチョコを配る気にはならない。
 そもそも恵はバレンタインが好きではなかった。正確に言えば、2月14日であることが気に食わない。
 妬みではない。多少はその気持ちもあるが。
 この2月13日という日は、どうしてもみんなが浮かれた気分になる。チョコを配る側は明日のことしか考えないし、もらう側も誰からもらえるかとか、そんなことを考えてしまう。もらえない人についての考察は避けることにする。
 2月13日は、桃乃恵が一番沈んだ気分を味わう日なのだ。そこにバレンタイン前日という空気が重なり、恵の気分はますます暗くなってしまう。
「どっかないのかしら、バレンタインの雰囲気がない場所……」
 人のいる場所は必然的にバレンタインムードに包まれている。けれど人のいない場所に行っても沈んだ気持ちを変えることはできないだろう。静かな冬景色を見ても、ただ寂しさが助長されるだけだろうから。
「ま、いつものことだ。諦めなさい」
 自分に言い聞かせ、透き通るような青い空を見上げる。透き通って、透き通って、そのまま自分と空の境がなくなってしまえばいいのに。
 まだ当分、冬は居座っているらしい。凍えるような風が恵の意識を現実に呼び戻す。

 2月13日は、桃乃恵の誕生日だった。



 水無月まひるはバレンタインデーを知らなかった。
 少なくとも、日本において女性から男性にチョコレートとあげる日という認識はある。だけど、学校全体がなんとなく浮かれた気分になっている理由が、まひるには理解できなかった。明日は日曜で、フライングでチョコをあげている生徒もいるのだが、まひるの知るところではなかった。
 2月13日、土曜日。まひるは通っているピアノ教室の帰りだった。今日はタチバナではなく、運転手の高崎が迎えに来ていた。
 信号が赤になり、停車する。そのとき、まひるは見覚えのある人物がすぐ前の歩道を歩いていくのを見かけた。青になったので高崎に車を止めさせた。窓を開け、声をかける。
「お前、こんなところでどうした?」
「ん、殺し屋の弟じゃない」
 名前は知らないが、朝美の住む鳴滝荘の住人だった。なぜかタチバナとまひるのことを殺し屋ブラザーズと呼んでいる。その理由がまひるには思い当たらなかったが。
「帰るなら、一緒に送るぞ?」
 一緒に帰れば堂々と鳴滝荘に行くことができる。タチバナなら融通も利くが、高崎は仕事に対して真面目なのであまり寄り道を好まない。だが、ここで鳴滝荘に行く用事を強引に作ってしまえば高崎も従わざるを得ないだろう。
「ああ、別に帰りじゃないからいいわよ」
「遠慮するな、乗れ」
 むしろ乗ってもらわないと困る。
「遠慮じゃないってば……」
 困り顔を浮かべているが関係ない。まひるはドアを開けると強引に服をつかんだ。
「遠慮するな、乗れ」
 抵抗されたが、なんとか車に押し込むことができた。
「行け」
 高崎に命令し、車が発進した。


「一体何なの、相変わらず強引ね」
 強引に乗せられた車の中には、まひると運転手しかいなかった。あのタチバナとかいうメイドもいるかと思ったがそうではないらしい。まあ考えてみれば殺し屋の兄がいたら、兄の方が車に押し込む役になるだろう。
「朝美は元気か?」
 恵には関係ないが、朝美にしてもまひるにしても期末テストが近い。だからまひるが鳴滝荘に寄る機会は確かに減っていた。もしかしたらテストが終わるまでは鳴滝荘には行くなと言われているのかもしれない。
「何、それだけのために誘拐されたの?」
「誘拐違う、送ってやるだけだ」
「世間一般じゃ誘拐って言うのよ」
「それで、朝美は元気か?」
 まるっきり無視をされる。まひるが朝美と沙夜子を連れ去っていったときもまるで会話にならなかった。お嬢様とはそういうものなのだろうか。
「ええ、元気よ。冬は健康に気遣わないとっていろいろ考えてるみたいだわね」
「そうか、よかった」
「ああ、ちなみに沙夜ちゃんも相変わらずだから」
「そうか、よかった」
 それで会話が終了してしまう。もともと、恵とまひるの間の共通の話題は黒崎親子以外にはない。そうなれば、日本全国共通の話題をあげるしかない。天気、季節、ニュースなど。
「あんたはバレンタインはどうするの?」
 一番話が進みそうな話題はこれ以外なかった。非常に不服だが。
「………別にどうもしない」
 まひるの感情は顔に浮かびにくい。
「なに、興味なしなの、てっきり朝美ちゃんにでもあげるのかと思ってたんだけど」
「バレンタインは朝美の何かの記念日なのか?」
 まるで見当違いの返事。しかし興味だけは持っているようで、眼差しは真剣になってきた。恵はどうやらまひるがバレンタインについて詳しく知らないと悟る。
 故に……
「日本のバレンタインについて知らないみたいだから教えてあげる。バレンタインっていうのは、チョコしか食べちゃいけない日なのよ」
「嘘つくな」
 即答だった。説得を試みる。
「本当よ」
「タチバナ言ってた。女性が唯一愛すると誓った男性にだけチョコを渡して告白する、世界で一番乙女な日だと。朝美は女、あげられない」
 どうやら知ってはいたようだ。面白くない。しかし乙女な日って……。
「あー、一応正しいんだけど、それは本命チョコって言ってね。世の中にはお世話になってるとかそんな感じの軽い理由であげる義理チョコってのもあるわけ」
「本当か?」
 どうやら信頼回復は容易ではないらしい。
「運転手さーん、義理チョコもあるわよねー?」
「ええ、そうですね」
 黙々と運転を続ける運転手に話を振る。
「ね?」
 勝ち誇った顔でまひるの様子をうかがうと、まひるはまだどことなく釈然としないようだった。
「それでその義理チョコなら、別に女の子から女の子にあげても別に問題はないわけ」
「そうか……」
 まひるは頷いた。
「だったら、朝美にあげてもいいんだな?」
「そういうこと。豪華なのあげてカロリー取らせてあげな」
 朝美が必要カロリーを摂取しているかどうかは結構不安材料だったりする。あと必要な栄養素とかも。
「そうだな。高崎、チョコ売り場に寄れ」
「そんな、今日はすぐにご帰宅される予定ですよ」
「……寄れ」
「しかし」
「これ以上言わせるな」
 反論しようとする運転手を黙らせる。沈黙の後、高崎は溜め息を漏らした。
「了解しました」
 恵は悪いことをしちゃったかなと少しばかり後悔した。
 こんな会話で気がまぎれている自分は安っぽいのかしらとか、そんなことも考える。
 その後、恵はまひるのチョコ選びに付き合わされた。それでもよかった。今日が恵の誕生日だと知らない人間といれば、落ち込むこともない。


 誰かの誕生日は率先して祝おうと思う。生まれてきたことは素晴らしいことだ。宴会のネタだからというわけでなく、純粋にそう思う。
 けれど、恵は自分の誕生日が嫌いだった。
 あの父親とあの母親の間に生まれてしまったことを、恵は人生最初の不幸だと思っていた。逆に、両親も恵を産んでしまったことを不幸だと思っているだろう。その認識は変えられないし、変える必要もないと思う。
 世間一般からすれば恵まれた境遇なのだと思う。でも、本当に恵まれた環境とはなんだろう。自分のしたいことができる環境を指すのなら、そこに恵の意思はなく、すべてがやらされたことだった。自分の意志がまるでない点で言えば、恵まれてはいなかっただろう。
 やらされることに飽きた。言ってしまえばそれだけだ。巻き込まれるくらいなら自分から巻き込んでしまえばいい、そう思う。
 ピアノはたしなみだと言われても納得できなかった。ピアノにいい思い出なんてない。だたやらされただけ、それ以上でもそれ以下でもない。ピアノをやめると言った時の両親の顔は今でも覚えている。傑作だった。もう何かを強制されることはない。
 けれど、今まで与えられ続けて、唐突にそれを失って。
 恵は自分が何をしたらいいのか分からなくなってしまった。恵は学校にも行かなくなり、留年もした。暗闇だった。身動きも取れなかった。親から与えられた光以外、恵は光源を持っていなかった。
 ヒカリは、前触れもなく差し込んだ。
 彼と出会い、彼のヒカリを浴びて……。
 恵は自ら光ることができると知った。彼は、眩しかった。
 勘当同然だったから、東京に行くと言っても何も言われなかった。内心では喜んで送り出したところだろう。生まれた親が違っていれば、もうちょっとましな青春時代を送れたように思うが、彼に出会うこともなかっただろう。感謝はその一点だけ。
 それでも自分が生まれてしまった日を、恵は好きにはなれなかった。あの両親の元に生まれてしまったことは、まだ恵に影を落としていた。
 彼にも伝えてある、誕生日は祝うなと。今日は電話はしてこないだろうが、携帯の電源は切ってある。今日は電話も受けたくない。でも彼は明日は電話してくれると思う。そういうやつだ。
「世話になったな」
「べっつに、このくらい気にすんな」
 明るく振舞う。気を紛らわせてくれた程度のお礼にはなっているだろう。
 チョコ選びが終わり、現在恵は車上の人だった。隣には相変わらずまひる。運転手の高崎は二人がチョコを選んでいる間に携帯で連絡を取っていた。その後、まひるになにやら話していたが、早く帰って来いとかそんなところだろう。
 そして鳴滝荘に着いてしまう。できれば皆が誕生日のことを忘れていてくれる方がいい。いつも騒ぎを起こす恵が何も言わなければ、案外忘れ去ってしまうものだ。去年の誕生日も、恵は自分から誕生日と言い出さなかったために誕生会はやっていない。それでいい。
「お前、ここで待ってろ」
 運転手に告げると、まひるは恵と一緒に車を降りた。
 玄関の前でまひるは止まった。なぜか呼び鈴を三回押して、扉が開くのを待っているかのようにその場で立ち止まってしまう。
「……なにやってんの?」
「お前、先に入れ」
 あごで玄関を指すまひる。恵の頭の上にハテナマークが大群で押し寄せる。朝美に会いに来たはずなのに、どうして恵が先に入らなければならないのだろう。鍵をこじ開けて勝手に入ってきたことすらあるのに。
「なんで?」
「いいから、早く」
 よく分からないが、何か宗教上の理由があるのかもしれないし、扉が赤くないので開けたくないのかもしれない。
 こんなところで立ち往生しても寒いだけなので、恵は玄関の扉を開けた。
「お誕生日おめでとう!」
 複数の声とともに、破裂音が響く。横断幕が掲げられ「桃乃さんお誕生日おめでとう」と書かれていた。
「なっ……」
 恵は目の前の光景に立ち尽くした。
 鳴滝荘の住人全員がクラッカーを持ってこちらを笑顔で迎えていた。
「何で?」
 驚きで、それ以上言葉が出てこなかった。
 珠実が一歩前に出る。
「桃さーん、去年の誕生日も何もやらなかったですからねぇー。リベンジですよー」
「べ、別にあたしの誕生日なんてどうでも」
 誕生日を伝えなかったわけではない。けれどそれは夏くらいに一度言っただけで覚えている人などいるはずがないと思っていた。
 恵が反論しようとすると、今度は隆士が前に出てくる。
「みんなの誕生会をしてるのに、桃乃さんの誕生会だけしない理由があるんですか?」
 そう微笑まれると、反論の言葉がなくなってしまう。
「お前、誕生日ならそう言えばいいのに。みずくさい奴だ」
 後ろにいたまひるが、恵の前に来るとさっき買ってきたばかりのチョコを差し出してきた。
「祝いだ、ありがたくもらえ」
「あんた、これ?」
「さっき別に買った、明日また来る」
 相変わらず無表情のまま、まひるは押し付けるようにチョコを渡した。
「朝美、また明日来るからな」
「うん、ありがとうまひるちゃん」
 名残惜しそうに、まひるは運転手と一緒に帰っていった。
 後から朝美に聞いた話によると、運転手の高崎は鳴滝荘にも電話をかけていたらしい。お嬢様が伺いますが朝美さんはいらっしゃいますか、と。そのとき恵が一緒にいると知り、誘導してもらうようお願いした。こっそり誕生会の準備は進んでいて、恵をどうやって連れ出すかも考えてあったようだが、出かけたまま電話も繋がらない状態でかなりあせっていたらしい。
「どこにいってらしたんですか?」
「うーん、気分転換?」
 あまり自分の暗い面は見せたくなかった。恥ずかしい。梢の問いかけにはそれ以上答えず、恵は少し歩調を緩めた。最後尾には、由起夫がいた。
「なあ、桃」
「なに、バラさん」
 由起夫の腕がのび、恵はジョニーと対面する。
「人が生まれてきたことは人生で一番最初の幸福だと、オレは思うゼ」
「バラさん、くさい……」
 由起夫にしか聞こえないように呟く。由起夫はこれ以上何も言ってこなかった。
 生まれなければ、ヒカリを知ることはできなかっただろう。


 幾重のヒカリが、わたしの胸を満たしていく。   (終わり)




 あとがき

 タイトルの「ELEVEN」は第2回人気投票で11位だった桃さんとまひるちゃんの二人をメインにしようと思ってつけました。内容とは一切関係ありません。ヘブンイレブンの店長の話だと思った人、ごめんなさい。しかしあのポイント制で11位で順位が並ぶなんて結構珍しいことだと思うんですよね、なので記念というか慰めというか、そんな感じで結果が出た頃からなんとなく考えていました。
 しかしこの二人の組み合わせは結構無茶があります。というか基本的に無茶なSSしか書いてない気がします。殺人事件だったり、バラさんの過去だったり……。でも無茶なSSを書くのは、原作では書かれなさそうだからです。いや、同じ土俵に上がらなければ粗も目立たない……かも。というかまほらばみたいな、まったりほのぼの感は僕には出せません。挑んでも五番煎じとかそのくらいの風味しかなさそうです。シリアスな感じの方が書きやすいんですよ、まだ。まあネタがベタなのであんまり意味はないんですが。
 アンケートでまほらばSSが期待されている感じだったのですが、もっと他の皆さんが書いて僕の出番なんてなくなってしまうくらいになってくれるといいんですけどねぇ。絶対数が少ないから期待されているだけだと思っているんですが。次のSSがどうなるかわかりませんが、あんまり期待しないことをオススメキャンペーン中。
 というかですね、アンケートでまほらばSSを期待する人、せめて感想とか一言でもいただけるとこちらもやる気になるかもしれませんが、名前もなくただまほらばSSとだけされるとちょっとやる気がなくなってしまいますので、その辺気遣っていただけるとありがたいかと。アンケートで多かったから書かなきゃ、なんて思いませんよ。感想がもらえるからまた書きたいと思うわけで。まあそこにネタがあれば書きますけど。
 しばらくは本気でオリジナルを書こうかなぁと考えている所存なのでSSは書かないかもしれませんが。
 結局今回の話、おいしいのはバラさんだよなぁとか思ってしまう今日この頃。
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